東京の外構工事 実績数3000件を誇る創業27年の株式会社トップテクノ

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社長プロフィール

昭和45年10月10日(1970年)

北海道札幌市に生まれる。時代は第二次ベビーブームの真っ只中。

昭和60年(1985年)15歳

はじめての挫折
外科医になるという夢に向かって勉強漬けの毎日。1年で偏差値が20 以上アップ。
自信を持って難関私立高校を受験し、大いなる手応えを得たが、結果はまさかの不合格。
滑り止めで受験した埼玉の県立高校へ入学。「最強の外科医になってブラックジャックみたいに人を助ける」という将来のビジョンが大きく狂う。


昭和61年(1986年)16歳

高校を中退
入学当初からほとんど学校へ行かず、県立高校を1年で中退。
中型二輪免許を取得し、孤独な尾崎豊を気取って1人でいろいろな場所を走り回って遊ぶ生活。
それを見かねた近所の電気屋のオヤジから声をかけられ、電気屋の手伝いをはじめることに。

昭和62年(1987年)17歳

外構工事との出会い
拾ってくれた恩もあり懸命に働いたが、月の給料はたったの5万円。一人暮らしをするためにお金が必要だったこともあり、電気屋を辞めて日給8000円の土建屋のアルバイトをはじめる。この土建屋でのアルバイトで外構工事の基礎を学ぶことになる。

昭和63年(1988年)18歳

アルバイトから請負いに
念願の一人暮らしをスタート。
仕事もひととおりのことはできるようになり、単なるアルバイトから、会社から仕事を丸々受ける「請負い」にシフトチェンジ。日給8000円だった収入は、いつしか月収50万円以上に。

平成1年(1989年)19歳

順調な規模拡大
時代はバブル。仕事は増え続け、複数の現場、30名ほどの人員を仕切る規模になったため「佐藤工業」を名乗って仕事を受注するようになる。

平成8年(1996年)7月 27歳

有限会社正和ブロック工業を設立(本社住所:埼玉県入間市宮寺729-3)。
資本金300万円で有限会社を設立。1998年の長野オリンピックでは選手村の建設工事に携わる。年商は2億円以上。面白いように儲かったが、この頃から心の中では「なんか面白くないな」という思いが芽生え始める。

平成11年(1999年)10月 29歳

埼玉県所沢市小手指町に本社を移転。

平成12年(2000年)7月 29歳

株式会社トップテクノに社名変更
資本金1,000万円で株式会社に変更し、さらなる事業発展を目指して社名も変える。
8月には知事の建設業許可を取得(埼玉県知事許可(般-12)第55725号)。
それまでBtoB中心の業態だったが「下請けだけじゃ面白くない」という思いが強くなり、「エンドユーザー」志向が芽生える。

平成14年(2002年)11月 32歳

東京都杉並区西荻南2-20-8に本社移転
埼玉県入間市宮寺709-18に支店設立

エンドユーザー開拓の環境を整えるため、住宅需要の多い都内へ進出を図る。
「中央線沿いで勝負しよう」という直感が働き、本社を中央線西荻窪駅の近くに移転。
翌年10月には大臣の建設業許可を取得(国土交通大臣許可(般-15)第20369号)。

平成17年(2005年)1月 34歳

東京都杉並区西荻南3-16-8に本社移転
本社を移転し、上場を目指すため資本金を3,000万円に増資。

平成23年(2011年) 41歳

最大の危機到来
取引先の不渡り発生、社員による横領などが重なり、2期連続で数千万円の赤字を計上。トップテクノ史上最大の危機に直面するも、「今まで楽しくやらせてもらって来たんだからしょうがない。ここは地獄を見よう」と覚悟を決め、再建に取り組む。関係各所に頭を下げる日々。

平成25年(2013年) 43歳

経営再建
人員を整理し、社長みずから工事の現場に戻ることに。その後丸2年間、現場仕事に没頭し、一から会社を立て直す。

 

現在は創業27年、工事実績数3,000件を誇る外構工事のプロフェッショナルとして最高の満足をお客様に提供している。


佐藤正和の生きる道



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