「ごめんなさい、ちょっと名刺を切らしていて」
これは私がよく口にするフレーズです。
名刺がすぐになくなるほど普段から多くの人と名刺交換しているかというと、
実はそうではありません。むしろその逆です。
私は誰かれ構わず名刺交換するのが嫌いです。
できれば自分が認めた人にしか名刺を渡したくありません。
だから名刺交換したくない人間には、名刺を切らしている「フリ」をするのです。
その後の交流を拒否する防衛手段というわけです。
仕事の大半は人との関わりです。
もっと言えば、人生のほとんどの時間は、人と関わっている時間です。
つまり、付き合う人を間違えば、仕事の大半に悪影響を及ぼしてしまうし、
一度きりの人生をつまらないものにしてしまう可能性だってあるのです。
だからこそ、付き合う人間は自分が主導権を握って「選択」しなければなりません。
その場の成り行きで名刺を差し出されたからといって、
無条件にこちらも名刺を差し出すという「無選択」な関係は仕事においても人生においても無駄です。
少し乱暴に聞こえるかもしれませんが、
一緒にいて自分にとってメリットや面白みがない人、
あまりに価値観がズレている人に、人生の貴重な時間を費やすことは絶対したくありません。
これは私の人付き合いの基本的な考え方です。
では私にとってメリットや面白みがある人とはどのような人物でしょうか。
基準は3つあります。
1つめは、会社や自分に経済的なメリットをもたらしてくれる人物です。
「生きていることが仕事」である私にとって、
人間関係を築く相手は当然良い仕事に繋がっていなければなりません。
良き友人は良きビジネスパートナーである必要があるのです。
2つめは、私の仕事への熱量や仕事のクオリティを高めてくれる人物です。
この人といると様々なインスピレーションが得られるとか、
仕事へのモチベーションが高まるといった恩恵を得られる人なら、
経済的なメリットがまったくなくても私は進んで交友を深めます。
そして3つめは、筋が通っていて気持ちの良い人物です。
何事にもしっかりと筋を通す人間は、付き合っていて気持ちが良いものです。
男気があり裏表がない。損得勘定を抜きに自分と向き合ってくれる。
そういう人物とは長く良い関係を築くことができます。
逆に、人に媚びて誰とでも名刺交換したがるような人や、
面識もないのに馴れ馴れしい人、
私のことをあたかも知った風にしゃべる人、
愚痴っぽく負のオーラが漂っている人など、
3つの基準と正反対の人物が近づいてきたら、
名刺交換はおろか、話も聞きませんし、目も合わせません。完全に関係を拒絶します。
このように、基準を持って付き合う人を選択していくと、
自分を取り巻く環境はおのずとベストコンディションに保たれていきます。
人間を選択するということは、人生を選択することと同じです。
誰とでも仲良し、ではなく、もっとシビアになっていいはずです。
ただ、自分の選択が必ずしもいつも正解とは限りません。
ときには自分が「この人とは付き合っていきたい」と認めた人間が、
見込み違いだったということもあります。
ある協力会社の社長とは古くからの付き合いで、
仕事の腕も認めていましたし、信頼もしていました。
ところが、ある時期を境に彼の会社の業績は悪化し始めます。
資金繰りがかなり厳しくなっている状態を見て、
私も「もうダメかな」と思っていたのですが、
そんなとき彼から運転資金を貸してくれないかと頼み込まれたのです。
普通の経営者の判断であれば、
今にも倒れそうな会社にお金を貸すなどというリスクは冒さないでしょう。
しかし、私は損をするのを覚悟で500万円を彼の会社に貸しました。
案の定、そのお金は返ってくることはありませんでした。
なぜ、私はそんな馬鹿げた貸付けをしたのか。それは、
「一度は信頼関係を認めた自分に責任がある。だから最後まで面倒を見よう」
という感覚です。
一度信じた相手のことを、最後まで信じることができない自分が嫌だったのです。
このように、自分が築いた人間関係が、
結果的に自分のメリットにつながらないこともあります。
しかし、こうして自分の人間関係に最後まで責任をとることは
大変貴重な経験値として私の中に蓄積されました。
異業種交流会などでのなんとなくの名刺交換でできた関係が、
結果的に500万円の損失につながったなら、大きな後悔しか生まれなかったでしょう。
しかし、自分が選んで付き合うと決めた人間との
関係で生まれた損失ならば、後悔はありません。
どんな人間関係にせよ、筋を通すことでそれが周囲に伝わり、良い人脈が引き寄せられます。
また、こうした経験を通じてこそ、人を見る眼が研ぎ澄まされていくのだと思います。